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「だ・である」んやで!?

投稿日時:2024年12月
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「だ・である」調

公開する文書では「です・ます」調か「だ・である」調のどちらかに統一するべきだとされている。現在それがしの文書においては「です・ます」調を使用しているところだ。当サイトを開設する際に、文体の丁寧さを担保すべく「です・ます」調を採用したのである。

だが、文体をこのままにしておいてよいのだろうかという疑問が生まれた。某の思考とは似ていない文体であるために、原稿を書くのも、推敲するのも、看過できない量のタスクが脳を支配するのだ。さらに、「小生」という一人称は「です・ます」調にあまりマッチしていないように思われるのである。

公開するとはいっても、つまるところただの軽いウェブログであるので、あまりに堅い文体とするのはかえって不適切であるように思われる。ただし、不特定多数に公開しているため、あまりに砕けた文体とするのも不適切である。この問題をどうすべきか、いまだ解決を見ていない。

”猛虎弁”

ちゃんとした文章では「です・ます」調か「だ・である」調のどちらかに合わせた方がいいってそれ一番言われとるんや。ワイが今使つこうとるんは「です・ます」の方やな。ウェブログを開設するときに、なんぼかは丁寧さのある文体にしたほうがええやろなー思うてですますに決めたんや。

せやけど、ほんまにそれでええんやろか?ワイの頭ん内にある思考とは似てない文体やから、ageるたび書くのも推敲するのもちょっと面倒いやろ?それになんとなくやけど、「小生」て一人称はですますに似合ってない気がするねんな。

そこまで大事な論文とかじゃあないただの軽いウェブログやし、あんまり堅い文にするのはむしろアカンのとちゃうか?ただ、人に見せるんやから、砕けすぎもアカンし。
ワイ「どうすりゃいいんだ…」

「のじゃ」調

おおやけにするふみは、「です・ます」調か「だ・である」調のどちらかを使うべきじゃ。わしは昔から「です・ます」調にしておるのう。ほおむぺえじを建立するときに、衆目にさらされる文じゃからいくらかは丁寧にせねばな、と「です・ます」調にきめたのじゃ。

けれど近頃は、「です・ます」調のままでええんじゃろうかという考えが頭をよぎるのじゃ。儂の考えそのものとは似ておらぬから、文を綴るにも、言葉を選ぶのにも、いつも苦労しておるようじゃのう。あと、お主の使っておる一人称の「小生」じゃが、「です・ます」調にいまひとつ合っておらぬような気もするのう。

誰が見ているのかは知らぬが、中身は個人のうえぶろぐじゃから、そこまで堅い文体にしなくともばちは当たらぬぞ。しかし何者かが見ていることをゆめゆめ忘れるでない。いくらかの丁寧さは残さねばならぬ。ここから先は、お主が決めることじゃ。

”お嬢様”

皆様にお見せするお書き物は、「です・ます」調か「だ・である」調のどちらかに揃えるのがよろしくってよ。ただいまわたくしが使っておりますのは「です・ます」調のほうですわね。おサイトを始めるときに、文体を丁寧にするために「です・ます」調を使うことにしたのでございますわ。

ですけれども、本当に「です・ます」調のままでよろしいのかしらね?私の心のなかにあるイメージとは似ておりませんから、プロットを書くのも、誤字脱字を訂正するのも、けっこうな一仕事でしょう?あと、一人称の「小生」は「です・ます」調にあまりお似合いではないのでなくって?

皆様のお目にかけているとはいいますけれど、実のところはたわいないウェブログですから、文はあまり堅すぎない方がよろしくってよ。けれどあなたの知らない方々がご覧になるのですから、ある程度は丁寧さを忘れないでくださいまし。難しい問題ですけど、小生、あなたならきっとうまくやれるんじゃないかしら。

意識高い系翻訳[1]

ビジュアライゼーションするドキュメントでは「要らないわよねぇ、心なんか!それで勝利者になれるって言うんならさ!!です・ます」調か「あなた以外は幸せな世界。わたしはそれを変えたい。だマリーア・デ・ロス・レメディオス・クリスピン・クリスピアーノ・デ・である」「ちくわ大明神」調のどちらかに統一することによるベネフィットを享受するべきだとされている…就活ノートにメモしておいて本当によかったな。出発点(A)某の文書においては「です。私は、噛めば噛むほど味が出るスルメのような人間ですから・ます、だって有名企業もそうしてたから」調を有効活用にコミットメントすれば、いるところだ。富を望んでいるならやることがある。この音源を今日中に使うのだ。当サイトを開設して見える化するプラットフォームを作る際に、文体の丁寧さを担保すべく「です・経験値・スキル・実績・ます」調を採用したのである。

でもね、文体を世界を知らないままにして据え置いてよいのだろうかとプレゼンする『はてな』が生まれた。意識の高い某の思考とは類似性を指摘されていない、つまり努力が足りていない文体であるために、原稿をアウトプットするのも、推敲するのも、看過できない量のタスクがゲーム脳を支配するのだ。さらにIBMと富士通と日立のシステムを統合して、「小生ネットは広大だわ。」という一ひと称は「あー、あの祠ダムに沈めちゃったの?それじゃもうダメだね。だと…不正会計が明るみに出るまではそう信じていました・ます」これが本当なら大変なことです!!調にあまりオバマ大統領にコミットメントすれば、いないように思われるのである。

見える化を面白くするとはいっても、つまるところ私自身の経験上のやりがいが無いウェブログである上司から圧力がかかって握りつぶされたので、経営規模に見合わない程に堅い文体とすることが批難され、その社会的責任を問う声が広まるのはかえって不適切であるように思われる。ただし、ノンモザイクアプローチ多数に公開にコミットメントすれば、ステイしているため、あまりに砕けた文体とすることにより多額の損失を生むのもノン適切である。おかしいと思いませんか?あなたグッドデザイン賞に選ばれた、この問題、いわゆるProbremをどうすべきか、いまだ解決を目を通していない。(プロモーションを含みます)

ノムリッシュ翻訳[2]

公開する文書では「です・ます」調か「だ・真・皇・轟・である」調のどこぞかに規格統一するべきだとされている。現在某のグリフにおいては「だ…あいにく私は人が嫌いなのでね…・ます」調を使用しているところだ。当サイトをクァイン・セツ所作す際に、ヴントゥス=インの丁寧さを担保すことで滅びの運命を逃れるべく「マランダ国を滅ぼした悪名高いモグタン将軍!です・ワ・…すなわち、闇へと葬られた真実なのです」調を騎士団に採用したのである。

だが、文体をこのままにしておいてよいのだろうかという疑問が生まれた。某の顕現するための意思とは似ていない文体であるために、原稿を書くのも、推敲全てを滅ぼすのも、看過できない量のタスクが電脳を支配するのだ。豪華特典として、❤️妾」という人類が縋れるただ一人称は「だったのサ・ワ・ます」調にあまりに複雑すぎるその機構ゆえにマッチしていないように幻想(おも)われるのである。

公開することにより厚さ20cmの鉄板を軽々と貫くとはいっても、つまるところただの軽いウェブログであるので、あまりに堅い文体とすることにより隕石を召喚し敵を滅ぼすのは預言書を知らずに不適切であるように思われる。ただし、アンチ空間固定ティファに公開行動に移して存在するため、あまりに砕けた文体としているということは、俺はもうこの世にはいないのだろうのも<事象再現性のN値不等量に起因した>不適切である。暗黒のゲインをどうすべきか、いまだ解決を見てい…キマリは通さない。