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特集 音楽文化についての考察 後編

投稿日時:2024年10月
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聴覚のチーズケーキ?

前回の最後に述べたとおり、専門家による著書を調べました。すると、小生の予想に近い学説を発表している人がいたのです。

その人はスティーヴン・ピンカーさん。認知心理学者で認知科学者であるピンカーは、音楽は、精神機能のうちでも、少なくとも六つの特に敏感な部分を快く刺激するように精巧に作られた聴覚のチーズケーキであると述べ、さらに続けてこう言ったそうです。

もし音楽というものが、万が一、失われてしまったとしても、私たち人間という種の生き方はほとんど変わらないだろう。そこが、言語や視覚、推論能力、物理世界に対する知識などとは大きく違っているところだ。音楽は純粋に楽しみのためだけに存在する技術であると言える。麻薬のカクテルとでも言おうか。耳から注入された途端に、喜びの回路を大いに刺激してくれる麻薬である。

小生が初めてこの説に触れたとき、大いに同意して首を縦に振りました。前回で打ち立てた予想を裏付けるものだからです。好きではないはずなのについ聴いてしまうことを説明するには、脳内の報酬を出させる性質が不可欠であるように思われます。

しかしながら、この説が発表されたあと、学会からはかなりの反発があったようです。音楽に研究するほどの価値はないと言われたように感じたのか、あるいは文化だと思っていたものが麻薬と同列に扱われたことに憤慨したのでしょうか。

音楽の起源はどこか

ピンカーの説をとると、人類の生存と進化において音楽は無用の長物となるわけですが、一概に正しいとはいえないようで、いくつかの反論があります。

ひとつにピンカーは性淘汰の効果を忘れているというもの。この説では、音楽は求愛に用いられたディスプレイ行動だったのだといわれています。まず、音楽を処理するのには脳の処理能力を多く使うため、複雑な音楽や踊りができる個体は知的能力に優れていると推察することができるわけです。また、このような直接生存の役に立たない「無駄なもの」を保有できる個体は、「無駄なもの」に資源を投入できる余裕があるわけで、つまり多くの資源を保有している強い個体だと誇示することもできます。これはクジャクの尾羽に似ているものであり、最初にこの説を述べたのはダーウィンだと言われています。

ほかにも、快感を得るだけで利益を得られないものならば世代を超えて残らないだろうという意見や、音楽を娯楽でなく集団の結束を深めるために、あるいは意思疎通のためや自分の居場所を示すために用いる民族もあるという意見もあります。この非娯楽的音楽の存在は、快感を伴う必要がないので、ピンカーの説にとって強敵でしょう。

何より驚くべきことに、現在知られているあらゆる文明は、みな音楽を持っているというのです。さらに、音楽を聴くと、言語や視覚とは異なる音楽に特徴的なパターンで脳が活動します。これは、ヒトの遺伝子のどこかに、音楽をさせることがコードされていることを示唆しています。

このように多くの専門家が人類の進化における音楽の起源について議論しています。しかしいずれの説も根拠が弱く、容易に反論される有様です。例えば、音楽は異性を惹き付けるものだという説で例としてあげられるものは、ロックミュージシャンの派手な女性関係であり、またこれへの反論として、中世は禁欲の誓いを立てている修道士によって音楽がされていたというものが挙げられます。

音楽の起源を人類の進化に求める学説は、現状どれも説得力に欠き、解決を見ません。音楽そのものは遺跡から出土しないので、過去にあったことはかなり推測に頼らねばならないためです。

正しい音楽の使い方は?

人類の進化における音楽の起源ははっきりしません。しかし小生にとって、現代流行している音楽はやはりチーズケーキのようなものであると感じられてならないのです。

音楽とは文化の中でどう捉えるべきなのでしょうか?購入したけれどまだ読み終えていない文献があるので、それを読み終えてからまとめに入ります。